連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦
第二次世界大戦で大日本帝国が連合軍に敗北したため、朝鮮半島は1945年9月2日から、日本統治期より連合軍軍政期に移った。朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた[17][21][14]。1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた[14]。富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、キャンプ・マーケット(Camp Market)、キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・へイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地だった[14]。
第8軍の龍山基地周辺には梨泰院があった[14]。ほかにも釜山、玩月洞、凡田洞(ハヤリア隊基地入り口)、大邱の桃源洞(チャガルマダン)、大田の中央洞などに公娼地域があった[14]。
1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって性病が蔓延したと主張し、娼婦の性病検査は1949年まで続けられた[14]。
朝鮮戦争と特殊慰安隊
1948年8月15日にはアメリカ合衆国の支援を受けて大韓民国が建国された。同年9月9日には朝鮮民主主義人民共和国が独立する。しかし、1950年より南北朝鮮の間で朝鮮戦争が勃発、1953年7月27日に休戦する。朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼び、設立した[11][6][22]。
大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した[23]。韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成していた[6][7]。部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した[10]。韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店しアメリカ兵も利用した[10]。
韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[24]に大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する目的で強制的に集団的性行為を強要された事例もある。
「特殊慰安隊」
韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』(후방전사)の人事編と目撃者たちの証言によって裏付けられた[25]。韓国軍は慰安婦を「特殊慰安隊」と名付け、慰安所を設置し、組織的体系的に慰安婦制度をつくった[26][27]。
第五種補給品
尉官将校だった金喜午の証言では、陸軍内部の文書では慰安婦は「第五種補給品」とよばれた[26][28]。軍補給品は1種から4種までだったため、そのように呼ばれた[26][28]。
韓国軍慰安婦の類型
金貴玉によれば、韓国軍慰安婦の類型には、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった[26]。また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあった[29]。
設置理由
特殊慰安隊の設置理由は、兵士の士気高揚、性犯罪予防であり、これは日本軍慰安婦と同様のものであった[26](韓国政府や軍が直接募集・設置運営している点は日本と異なる)。計画は陸軍本部恤兵監室が行い[26]、1950年7月には韓国政府は軍作戦指揮権を米軍を中心とした国連軍に譲渡しており、最終的な承認は連合軍が行ったとされる[26]。韓国政府・軍は慰安婦に対して「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」したという[30][14]。慰安婦の輸送方法
慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めてトラックで移送し前線を移動して回り、米兵も利用した[27][10][31]。設置時期と場所
韓国政府は、韓国軍だけではなく国連軍のための慰安所も運営した。釜山・馬山
朝鮮戦争が始まってほどない1950年9月、釜山に韓国軍慰安所が、馬山市に連合軍慰安所が設置され[8]、釜山日報の報道によれば、馬山の国連軍用慰安所は5ヶ所あった[32])。1951年には釜山慰安所74ヶ所と国連軍専用ダンスホール5ヶ所が設置される[8][14]。
江陵・春川など
江陵市には、第一小隊用慰安所(江寮郡成徳面老巌里)が、他に春川市、原州市、束草市などに慰安所が設置された[26]。ソウルの慰安所
ソウル特別市地区には以下の3ヶ所が設置された[26]。- 第一小隊用慰安所(現・ソウル市中区忠武路四街148)
- 第二小隊用慰安所(現・ソウル特別市中区草洞105)
- 第三小隊用慰安所(現・ソウル特別市城東区神堂洞236)
朝鮮戦域における日本人慰安婦
朝鮮戦争では日本人慰安婦も在日米軍基地周辺、また朝鮮半島へも日本人慰安婦が連れて行かれたこともあった[33][34]。朝鮮戦争時の慰安婦の数
総数は不明。金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。なお、朝鮮戦争後には性売買をする女性は30万人余りに達したと推測されている。[25]韓国陸軍本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』によると韓国軍慰安婦は1952年における4小隊に限ったケースだけでも89人の慰安婦が204,560回の行為を行わされた[6][7]。
強制連行
韓国・アメリカ軍に捕えられた北朝鮮軍看護婦。捕えられた北朝鮮女性はレイプされたり強制的に慰安婦にさせられることもあった[9]。
国連軍による性暴力と強制連行
崔吉城は論文「朝鮮戦争における国連軍の性暴行と売春」において、朝鮮戦争時には敵国ではない韓国において国連軍がソウル市北部の村で日中、シェパードを連れて女性を捜索し、発見後に強姦に及んだり、またジープにのって民家を訪れ女性を強制連行して性暴力をはたらいたことや、韓国人兵士が韓国人女性に性暴力や性拷問をはたらいたことを紹介している[36]。性暴力をうけたのは女性だけでなく、10歳位の男子がフェラチオを強要され喉が破裂したこともあった[36]。北朝鮮人女性の強制連行
朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性は強制的に慰安婦にされることもあった[9]。韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた[7]。
捕虜となった朝鮮人民軍女軍[37]、女性パルチザンゲリラ、そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の占領地内の住民である朝鮮人女性のうちまだ疎開しなかった女性などが、共産主義者を助けたとの名目で強制的に性奴隷にされた。