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6月, 2015の投稿を表示しています

韓国軍がベトナムでしたこと14 レイプ

『ハンギョレ』は4月25日付の朝刊でも、韓国軍によってレイプされたベトナム人被害女性8人の証言を3ページに亘って紹介。記事は、慰安婦問題で対日強硬姿勢をとる「挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)」の現地調査を引用する形で掲載された。  同紙に掲載されたのは、61歳から86歳の被害者8名の証言。その1人で今年80歳になるレ・ティ・ヒエウさんは「韓国人が今でも恐ろしい」と怯えた様子でこう語った。 「銃声がしたので、私は3人の子供を抱きかかえました。すると、3~4人の韓国軍兵士が家の中になだれ込み、私を捕まえて頭に銃を突きつけたのです。子供たちは庭に放り出され、私は裏の家に連れて行かれて輪姦されました。1人ずつ、順番にです」  また同紙は、韓国軍によるレイプが「組織的に行われていたことを示す証言も得られた」としたうえで、ビンディン省郊外に住む被害者、ファム・ティ・グォンさん(64)の話を紹介した。 「私はその日、35人余りの住民とともに捕まりました。(韓国兵は)基地に連行した私たちをまず男女に分け、次に子供がいる女性や年配の女性を別の場所に移動させました。そして、子供がいない若い女性や少女を1人ずつ塹壕の中に入れたのです。  私は1人の兵士とともに塹壕の中に押し込められました。そして、2晩に亘って何度も何度もレイプされたのです。はっきりとは覚えていませんが、日中は2回、夜は3回ぐらいだったと思います」  韓国軍に捕虜として捕らえられたベトコン女性もまた、レイプの標的にされた。ベトナム戦争当時、韓国軍が軍用飛行場として使用していた南部のプーカット空港に連行されたファム・ティ・ハイエンさん(64)はこう証言する。 「(浴場で)身体を洗っていると、そこに兵士が入ってきました。私は力の限り抵抗しましたが、兵士に口を塞がれどうすることもできなかった。それから2か月間の拘束期間中に3回レイプされました。すべて別々の兵士です」  韓国兵はレイプだけでなく、拘束中のハイエンさんに電気ショックによる拷問や、殴る蹴るの暴行を日常的に加えた。ハイエンさんは拷問の後遺症により、いまでも神経系統の疾患を患っているという。 出典 http://news.livedoor.com/article/detail/10287450/

韓国軍がベトナムでしたこと13 - 韓国軍慰安婦(8)

韓国と米国に対する慰安婦訴訟 2009年 、 韓国系アメリカ人 の元慰安婦らが米兵との性的行為を1960年代から1980年代にわたり強制されたとして、米軍と韓国政府に対して損害賠償をもとめてアメリカで提訴した( 在韓米軍慰安婦問題 )。原告の慰安婦らは韓国政府は米軍のための ポン引き だったと批判している [30] 。 その後、謝罪と補償を求める女性たちもいるが、 韓国最高裁は売春である不法行為に基づく損害賠償請求であるとして棄却している [ 要検証 – ノート ] [67] 。 2014年6月25日、米軍慰安婦で働かされたとして、韓国人女性ら122人が韓国政府を相手に国家賠償を求める訴訟を起こした [68] [3] [69] 。支援者によると、米軍慰安婦による国家賠償訴訟は初めてとされる [70] 。 1947年に売春禁止法が成立していたにもかかわらず、韓国政府は1950年からの朝鮮戦争時に米軍(国連軍)を相手にした売春を認める「特定地域」を設 け、女性たちを売春管理していたとされる。特定地域での管理は強制的で、慰安婦の中には欺されて連れてこられた10代の少女も居たという。慰安婦と支援団 体は、第二次世界大戦時の日本軍慰安婦と同様に韓国政府は謝罪と賠償をするべきと訴えている。現時点ではまだ米国を訴えてはいない [71] 。当時の 朴正煕 大統領 が直接管理していたとする指摘もある [72] 。 2014年12月19日にこの訴訟に対する初公判が開かれたが、政府側弁護人は「慰安婦個々人の訴えが真実だと立証されない限り、政府の責任は問え ない」と訴えた。それより前、日本軍慰安婦については「生きているおばあさん達の肉声の訴えが証拠そのものだ」と韓国政府高官が公言していたこともあり、 レコードチャイナは「『今生きている元慰安婦のおばあさんたちが何よりの証拠だ!』と日本に強く言っていた韓国政府はどこへ?」との韓国のネットユーザー の声を伝えた [73] 。第2回公判は2015年1月30日に開催 [74] 。 韓国軍・米軍慰安婦問題 韓国 では、 日本軍慰安婦 問題について1980年代から1990年代にかけて社会問題、さらに日韓の外交問題ともなっていた。他方、 1990年 代後半になると、 大韓民国国軍 あるいは米軍にレイプされた 韓国軍 慰安婦の存...

韓国軍がベトナムでしたこと12 - 韓国軍慰安婦(7)

1990年代から現在まで 朝鮮戦争時に設置された束草の慰安所は休戦後、 私娼 の集娼地が形成され、1990年代まで軍の慰安所として機能していた [26] 。1990年ころも、軍の訓練所の外に 俗に「毛布部隊」と呼ばれる私娼窟があった [25] 。 韓国では旧日本軍慰安婦問題だけでなく、 在韓米軍 を相手にした慰安婦(売春婦)の問題も、 在韓米軍慰安婦問題 として社会問題にもなっている。1990年までに韓国における米軍相手の売春婦は25万から30万にのぼった [36] 。 尹今伊殺害事件 詳細は「 尹今伊殺害事件 」を参照 1992年10月には、米兵のケネス・マークル(Kenneth Markle)が米軍専用クラブの従業員で「 洋公主 [14] 」の尹今伊(ユン・クミ(グミ [14] ) [53] を殺害し、膣にコーラ瓶、肛門には傘が刺され全身に洗濯用洗剤がまかれたままの遺体で見つかるという 尹今伊殺害事件 が発生し、反米運動にまで発展し、翌1993年には駐韓米軍犯罪根絶運動本部が設置された [36] [54] 。 フィリピン人・ロシア人等外国人慰安婦と強制売春 「 売春#韓国における売春の現状 」も参照 1980年代 までは韓国人女性達は、韓国政府やアメリカ人により 在韓米軍 相手の売春を強制されていた [30] 。韓国人女性達への強制が終わると、ロシア人女性やフィリピン人女性達が代わりとなった [8] [55] 。ほか慰安婦の出身地は、 ボリビア 、 ペルー 、 モンゴル 、 中国 、 バングラデシュ 、 キリギスタン 、 ウズベキスタン などがある [55] 。 1990年代 以降の韓国では、 在韓米軍 基地の近くで フィリピン 人女性達が、韓国人業者により売春を強制されていると報告された [56] [57] 。1990年代中ごろから 2002年 までに5000人の ロシア人 やフィリピン人女性達が 密入国 させられた上で売春を強制させられていた [56] [58] 。 2000年代 の韓国では、韓国軍相手の女性達の90%がロシア人やフィリピン人女性などの外国人であるとされている [35] 。 2009年 時点では、米軍基地近接地で売春を強制させられている女性に占めるロシア人女性の比率は減少したが、フィリピン人女性の比率...

韓国軍がベトナムでしたこと11 - 韓国軍慰安婦(6)

ベトナム戦争時 米国の性政策 ベトナム戦争のときに米軍は公認の慰安所でなく、現地の売春婦を買春した( 慰安婦#アメリカ軍慰安婦 を参照)。ベトナムでは、料金は500 ピアストル (2ドル)で、女性の手取りは200ピアストル(0.8ドル)で、残りは業者のものとなった [15] 。 1970年代 初、アメリカ軍は韓国政府に韓国における基地村浄化事業を行うよう要求した [19] 。 1971年 8月、吴致成 内務長官 が各 警察署 に保健当局と協力して慰安婦の性病予防策を講じ教養を強化するように命令した [23] 。 韓国の性政策 ベトナム戦争 に参戦するにあたり韓国政府は朝鮮戦争時と同様な「慰安隊」設置を計画したが、米軍の反対に遭い実現はしなかった(駐越韓国軍司令官)。このことがベトナムの民間女性に対する強姦事件が多発したことの一因になったとされる [46] 。 しかし、韓国がベトナム戦争時、サイゴン(現ホーチミン)市内に韓国兵のための「トルコ風呂」(Turkish Bath)という名称の慰安所を設置し、そこでベトナム人女性に売春させていたことが2015年3月29日、米公文書で明らかになった。韓国軍がベトナム で慰安所経営に関与していたことが、公文書として確認されたのは初めての事である。文書は米軍からベトナム駐留韓国軍最高司令官、蔡命新将軍に宛てたもの で、日付は記載されていないものの1969年ごろの通報とみられる。韓国陸軍幹部らによる米紙幣や米軍票などの不正操作事件を説明したもので、その調査対 象の一つとして「トルコ風呂」が登場する。その中で米軍は、ベトナムの通関当局と連携した調査の結果として「トルコ風呂は、韓国軍による韓国兵専用の福祉 センター(Welfare Center=慰安所)」と断じた。また、その証拠として韓国軍のスー・ユンウォン大佐の署名入りの書類を挙げた。その上で確認事項としてベトナム人ホス テスがいることや「売春婦は一晩をともにできる。料金は4500ピアストル(38ドル)。蒸気風呂とマッサージ部屋は泊まりの際のあいびき部屋として利用 できる」ことなどを指摘している。この米公文書は、週刊文春(4月2日号)でTBSの山口敬之ワシントン支局長が最初に発表した。 [47] 韓国軍による性暴力 韓国軍兵士はベトナム人女性を多...

韓国軍がベトナムでしたこと10 - 韓国軍慰安婦(5)

朝鮮戦争休戦からベトナム戦争まで 閉鎖と存続 1953年7月27日の 朝鮮戦争 の休戦にともない各慰安所は 1954年 3月に閉鎖され [26] 、翌1954年に「正規」の「慰安隊」はなくなったが、事実上の慰安隊が私娼の形で存続し費用は「厚生費」などの名目で支出されていた [25] 。 軍隊慰安所は公式には解体されねばならなかったが、韓国政府とアメリカ政府は存続の協議のため「性病対策委員会」を設置した [14] 。1957年の会議では米経済調整官室(Office of Economic Coodinator,OEC)側は、決定を韓国側で行ってほしいと韓国側に要請し、ソウル、仁川、釜山に接客業所やダンスホールを指定し設置した [14] 。こうして洋公主は、国家管理によって慰安婦と「米軍同居女」の二つに分類されるようになり、東豆川や議政府という基地村が栄えていった [14] 。 1955年 のソウル市警察局によると米軍相手の性売買女性は 61,833名 であった [8] 。 売春業者による誘拐事件 朝鮮では1930年代にも売春斡旋業者による少女誘拐事件が頻発したが [38] 、朝鮮戦争後も売春斡旋業者による少女誘拐事件が発生している。1956年4月には「売淫ブローカー」によって少女2名が誘拐 [39] 。 また 1956年 7月11日 の東亜日報は「田舎の処女誘引 売春窟に売った女人検挙」との見出しで、少女を誘拐し売春を強要した容疑で老婆が逮捕されたと報道している。 慰安婦の自殺 アメリカ軍 (美軍)慰安婦2名が 韓国 釜山 で悲観のあまり 自殺 したことを報じる 1957年 7月21日 付 東亜日報 韓国におけるアメリカ軍相手の女性達は自殺や中毒により死亡することもあった [35] 。 1957年 7月21日 付け東亜日報で、アメリカ軍慰安婦がわが身を悲観して自殺したと報道される [11] 。 1959年 7月30日 付け東亜日報で、慰安婦が悲觀自殺したと報道される [11] 。 韓国政府による慰安婦政策:「特殊観光」 1960年代 の韓国ではアメリカ軍相手の売春が国家を挙げて奨励され、 国民総生産 の25%を占めていた [40] [14] 。 1962年 の韓国の相場では、ショートタイムで2ドル...

韓国軍がベトナムでしたこと9 - 韓国軍慰安婦(4)

連合軍軍政期の朝鮮における慰安婦 第二次世界大戦 で 大日本帝国 が 連合軍 に敗北したため、朝鮮半島は 1945年 9月2日 から、 日本統治期 より 連合軍軍政期 に移った。 朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ慰安所、慰安婦ともにアメリカ軍に引き継がれた [17] [21] [14] 。1945年9月には、日本軍兵站基地があった富平に米軍基地が居抜きで建設され、基地周辺にあった公娼地域も引き継がれた [14] 。富平基地はキャンプ・グラント(Camp Grant)、キャンプ・マーケット(Camp Market)、キャンプ・タイラー(Camp Tyler)、キャンプ・へイズ(Camp Hayes)を網羅する広大な基地だった [14] 。 第8軍 の 龍山基地 周辺には 梨泰院 があった [14] 。ほかにも 釜山 、 玩月洞 、 凡田洞 (ハヤリア隊基地入り口)、 大邱 の 桃源洞 (チャガルマダン)、 大田 の中央洞などに公娼地域があった [14] 。 1947年11月には公娼制が廃止されたが、1948年に米軍は公娼制廃止によって性病が蔓延したと主張し、娼婦の性病検査は1949年まで続けられた [14] 。 朝鮮戦争と特殊慰安隊 1948年 8月15日 には アメリカ合衆国 の支援を受けて 大韓民国 が建国された。同年 9月9日 には 朝鮮民主主義人民共和国 が独立する。しかし、1950年より南北朝鮮の間で 朝鮮戦争 が勃発、 1953年 7月27日 に休戦する。 朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「 特殊慰安隊 」と呼び、設立した [11] [6] [22] 。 大韓民国 政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営した [23] 。韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成していた [6] [7] 。部隊長の裁量で周辺の 私娼 窟から女性を調達し、兵士達に補給した [10] 。韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店しアメリカ兵も利用した [10] 。 韓国戦争 以降 1990年 代まで 在韓米軍 の 韓国 駐留時 [24] に 大韓民国 の 国軍 によって強行され、 大韓民国 の 国軍 と在韓米軍の性的欲求...

韓国軍がベトナムでしたこと8 - 韓国軍慰安婦(3)

東亜日報 の「慰安婦」関連記事数 [13] 年度 日本軍慰安婦関連記事数 米軍・国連軍慰安婦関係記事数 1951-55 1件 17件 1956-60 0件 36件 1961-65 0件 56件 1966-70 1件 118件 1971-75 5件 39件 1976-80 0件 20件 1981-85 4件 9件 1986-90 5件 8件 1991-95 616件 3件 ほかに 蔑称 の意味合いもある「 洋パン (ヤン・セクシ)」 [10] 「 洋公主 ( ko:양공주 、ヤンコンジュ、ヤンカルボ)」 [14] [10] [8] 、また毛布一枚で米軍基地について回るという意味で「毛布部隊」 [14] 、 ベトナム戦争 時は「 ディズニーランド 」とも呼ばれた [15] 。また米兵を相手にするフィリピン人慰安婦を「ヤンキー売春婦」「コメで動くチビ茶色のファッキンマシーン」などとする蔑称もある [16] 。ほかにジューシーガール(juicy girls)、バーガール(bar girls)、 ホステス (hostesses)、エンターテナー(entertainer)という言い方もされる [17] [18] 。 「 挺身隊 ( 정신대 )」 [19] ・ 国軍挺身隊 とも呼ばれた。 これらの英語表記はcomfort womanであり、日本語の 慰安婦 の英訳と同一である [14] 。英語では韓国軍・在韓米軍慰安婦は一般にKorean Military Comfort Womenと表記される [1] [14] 。 もっとも朝鮮戦争やベトナム戦争におけるこの種の行為について韓国内では全く議論になっていないため、韓国最大手の新聞 朝鮮日報 でも「人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない。」との記事を執筆するレベルの認識にとどまっている [20] 。

韓国軍がベトナムでしたこと7 - 韓国軍慰安婦(2)

名称 国連軍 を相手とする慰安婦の登録が 1961年 9月13日 に実施された。 東亜日報 1961年 9月14日 韓国陸軍 本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』には「固定式慰安所-特殊慰安隊」とあり、 朝鮮戦争 中は「 特殊慰安隊 」 [6] [7] [8] [9] または「 第5種補給品 」 [6] [10] とも呼ばれた。 朝鮮戦争後は「 美軍慰安婦 (美軍はアメリカ軍のこと)」 [11] 「 国連軍相対慰安婦 (UN軍相對慰安婦)」と呼ばれた [12] [11] 。 韓国では、「慰安婦(위안부)」という言葉は、1980年代までは主に米軍・国連軍慰安婦の事を指しており、日本軍慰安婦はほとんど問題になってい なかった。しかし1990年代に日本との問題が大きくなってからは、「慰安婦」という言葉は、日本軍慰安婦に対して使われるようになり、米軍・国連軍慰安 婦に対しては使われなくなった [13] 。

韓国軍がベトナムでしたこと6 - 韓国軍慰安婦

韓国軍慰安婦   韓国軍慰安婦 (かんこくぐんいあんふ)、または 大韓民国軍慰安婦 (だいかんみんこくぐんいあんふ、 朝鮮語 : 한국군위안부、대한민국군위안부 、 英語 : Korean Military Comfort Women [1] )とは、 大日本帝国 が 大東亜戦争 で無条件降伏した後における 韓国軍 と在韓 米軍 や 国連軍 を相手にした 慰安婦 。 朝鮮戦争 や ベトナム戦争 では韓国は アメリカ合衆国 を基盤とした連合軍に参加したため、韓国で設置された慰安所および慰安婦(特殊慰安隊)は韓国軍だけでなく米軍をはじめとする 国連軍 も利用した。現在も 坡州市 の ヨンジュコル (용주골、 en:Yong Ju Gol ) [2] [3] などに存在している。 ベトナム戦争の時には、サイゴン(現 ホーチミン市 )に韓国軍の慰安所が存在していた [4] 。 基地村政策沿革 [5] 1947.11.14 公娼制度廃止 1950-1954 韓国軍慰安婦設置 1961.11.9  淪落行為等防止法 ( ko:윤락행위 등 방지법 )制定 1962.6 米軍基地近隣104ヶ所を特定(淪落)地域に指定し売春取締除外 1971.12.22 政府主導で基地村浄化委員会発足 1970-1980年代 強制性病検診、基地村女性人権侵害がひどい 1990-1991年 梨花女子大元教授の 尹貞玉 が日本軍慰安婦問題を新聞で初めて告発。 1992年  尹今伊殺害事件 (米軍兵士が基地村女性殺害)  1996年 性病管理所閉鎖(韓国政府による管理売春終わる) 1990年代後半 フィリピン等外国人女性に代替(民営化)      

韓国軍がベトナムでしたこと6

ベトナム女性とベトナムに派遣された韓国人男性との間に生まれたいわゆる「ライタイハン」が、韓国人である父親の実の子であることを認めるよう認知請求訴訟を起こし、次々に韓国国籍を取得している。 ソウル家庭裁判所の金泌坤(キム・ピルゴン)判事は26日、産業研修生として韓国に訪れたライタイハンであるRさん(30)が、李某さん(68)に対して起こした実子認知請求訴訟で「李さんの実子であると認定される」と判決を下した。 父親の李さんが控訴を断念したことで、Rさんは大韓民国国籍はもちろん、法的にも息子として相続権を自動的に認められるようになった。Rさ んは、70年代にベトナムホーチミン市で自動車修理工として働いていた李さんとベトナム女性との間に生まれたが、李さんが74年に、婚姻届けも出しておき ながら、ベトナム戦争が終わる頃に一人でオーストラリアに渡ったため連絡が途絶えた。 昨年10月にも、産業労働者として入国したライタイハンの金某さんが、韓国人の父親(70)に対し仁川(インチョン)地裁に起こした同様の 訴訟で勝訴した。金さんの父親は、息子の存在を否認したものの、控訴審でも金さんが実子であるという判決が下された。金さんは現在、韓国人として某会社に 勤めている。 金さんの勝訴後、ベトナムに残っていた兄弟姉妹3人も訴訟を起こし、1審の仁川地裁で勝訴した。現在控訴審が行なわれている。 この他にも、姓が金であるライタイハン2人も、オーストラリアに移民した父親を知人の紹介で会い、4月にソウル家庭裁判所に認知請求訴訟を 起こすなど、類似の訴訟が相次いでいる。これらの訴訟を手がけてきた朴五淳(パク・オスン)弁護士は「ベトナム戦争に派遣された国軍のほかに、技術者とし て派遣された韓国人と現地女性との間に生まれた2世であるライタイハンの数は、1万人以上にのぼると推定される。このような「ルーツ探し」訴訟は、これか らもっと増えるだろう」と語った。 http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2002072796568

韓国軍がベトナムでしたこと5―ライダイハン(4)

韓国政府の対応 ライダイハンが表面化した後も、 韓国政府による積極的な援護策は、一切取られていない。 [ 要出典 ] しかし韓国の民間団体 [1] や キリスト教団体 とベトナム政府の支援により、支援施設(職業訓練学校)が設立され [14] 、無償での職業訓練と朝鮮語の教育が行われた。ただし、ライダイハンの支援よりも、ベトナム国民を対象とした活動になっているとの批判がある [6] 。 ライダイハン自身が、韓国人である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得する動きもある [15] 。 盧武鉉 政権は2006年に、写真など客観的に立証できる手段があれば韓国の国籍を付与する法案を検討するとした [16] 。 なお、韓国政府は 2009年 にベトナム戦争の解釈をめぐってベトナム政府と衝突するという事件があった。2009年に韓国の 国家報勲処 が 国家報勲制度の改定作業を行い、国会に法案改正の趣旨説明文書を提出した。この文書でベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇 士」と表現したことにベトナムが、「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と猛反発し、予定された 李明博 大統領のベトナム訪問も拒否する方針を伝えた。韓国側は、 柳明桓 外交通商相をベトナムに派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束し、李大統領のベトナム訪問を予定通り実現させた。一連の 外交 交渉 で、ベトナム政府は「 侵略 者は 未来 志向といった言葉を使いたがり、 過去 を忘れようとする」と批判した [17] 。 韓国政府は、ベトナムでの虐殺や強姦など、自国の過去の蛮行を公式に認めようとしていない。 [ 要出典 ] 韓国兵の行為にはメディアも 人権 活動家も目を向けなかった。その根底には、韓国人の、ベトナム人に対する 人種差別 意識が原因との見方もある [18] 。 韓国マスメディアの反応 後の韓国大統領である全斗煥は白馬師団第29連隊長として [19] 、 盧泰愚 と同様にベトナム派兵で活躍した指揮官だった。最大の 圧力団体 である軍部の存在もあって、韓国ではベトナム戦争を批判的に取り上げることをタブー視する雰囲気が存在した [20] 。しかし後年、徐々に国民の意識が変わり、 SBS ...